御伽噺の結末は、だれが教えてくれるというのだろうか。
御伽噺の結末
夜の闇が外の喧騒を喰べてしまっているのかもしれない。
神楽はそう思わずにはいられなかった。
部屋兼寝床の押入れには、自分の鼓動以外の音が存在していない。
今・・・何時なんだろう。
ここに入ってから、いかほどの時間が経ったのか。
ほんの数十分なのか、それとも何時間も経つのか・・・それとも・・・
自分は自分ではなく、ただの闇なのか。
彼女は己の存在すら、自分で確かめることが難しくなりつつあった。
普段はなんとも思わない押入れの襖が、酷く厚い壁のようで、
自分は二度とここから出ることができないのではないかと錯覚する。
みょうに力の入らない手で、襖を開け、畳の上に足を下ろす。
しん・・・と静まりかえった家の中は、まるでまったく知らない別の場所のように
思えてくる。
廊下に出るとさすがに外の喧騒を耳にすることができて、彼女は小さく息を吐く。
居間の奥にある、和室の前で足を止める。
そっと音もなく引いた襖の向こうには、ただ闇が広がっていただけで、
この部屋の主の姿は見当たらなかった。
銀ちゃん・・・いないんだ・・・・・。
このところ夜、家を空けることのなかった銀時の不在に、神楽は言い知れぬ不安を覚える。
一週間前。
神楽は、自分が銀時のことを好きだと気付いた。
この広い世界の中で、それも自分のすぐ傍に、誰よりも愛しい人がいる。
愛しい人の存在を感じて過ごす日々は、なにものにも代えがたい宝物。
それは言葉にできない幸せで、身体がフワフワと浮かぶように軽かった。
今なら自分はなんだってできる。
そんな理由のない自信も自然と湧いてきた。
毎日が幸福の中にあった。
落とし穴は、
自分自身の過去にあり、自分の中にあった。
彼の膝枕で視た夢は、己の欲望か、願望か。
どちらにせよ、彼を自分だけのものにしたいと望む、自身の欲に気付いてしまった。
幾多数多の血を被り、屍を踏んできた、その本能。
そしてその本能は、己の欲を満たそうと彼にすら、牙を剥こうとする。
命を堕としていく彼を愛しげに見つめ、嬉しそうに微笑んだ自分の姿が忘れられない。
コレデ銀チャンは私のモノ・・・。
あの声が彼女の脳裏に生々しくよみがえる。
目の前に広がる、闇の空間。
銀時はいない。
昨日はここで、いびきまでかいて眠っていた。
だが、本当にそうだったのだろうか。
あの人はいたのだろうか。
昨日。
一昨日。
その前は?
もしかしたら・・・もう・・・自分が・・・・。
コロシテシマッタノデハナイカ?
途端にその考え自体が現実味を帯び、襖にかけていた己の手に・・・滴る血が視えた。
「 っ!? 」
目を背けた先に見た和室の畳の上は、
すべてが紅く染まり、彼女にこれが現実なのだと突き付けているようだった。
私がやった・・・。
これは全て私が犯した罪。
血に濡れる上着を剥ぎとりその場に落とす。
ふらつく足を引き摺りながら、廊下に出る。
ふと目に入ったズボンも、上着と同様、血で濡れて肌に張り付いてくる。
その気持ち悪さに眉根を寄せ、乱暴に脱ぐ。
私は汚い・・・。
手も足も、髪も胸も、すべてが血に塗れている。
どうすれば、この罪を堕とせるの?
随分久しぶりに飲んだ気がする。
多少ふらつく足に力を入れて、銀時は家路を辿る。
時折人にぶつかりながら、それでも意識は研ぎ澄まされたようにはっきりしていた。
数軒先に近付いた万事屋の屋根が薄暗い闇に浮かんでいる。
家に帰ったら、
まずイチゴ牛乳を飲んで、風呂に入って、イチゴ牛乳を飲んで、寝ればいい。
ただそれだけでいい。
きっとあいつはもう、寝ているはずだ。
銀時はこの数日を思い出し、ふと溜息を吐く。
それと同時に、じょじょに重くなる足。
どうやら自分は帰りたくないらしい。
それでもそれを無視して、重い足を前に出す。
神楽が自分を避けはじめて一週間。
はじめこそ、避ける理由を問いただそうとしたものの、なにも言おうとしない彼女に
これ以上近付くのは得策ではないと判断し、神楽が自分との間に距離を欲しているのならばと、
必要以上に近寄らないよう、彼も彼女を避けるようにした。
その日の夜からだった。
珍しく普段よりも早く床に入ったためか、4時頃に目が覚めてしまった。
起きるには幾分早い時間に、銀時は小さく舌打ちし、ふいに感じた咽の渇きに
起き上がろうとした時、部屋の外の気配に気付いた。
その気配は、彼がいつも一番身近に感じ、一番大切に想っている彼女のもので。
銀時は気配の元を確認すべく、極力音を立てないように布団から抜け出し襖を開けた。
迷わず気配のする方に視線を向けたその先にいたのは、
小さな身体をさらに小さく丸め、その身体を壁に預けて眠る、神楽だった。
なんでこんなところにいんだ?
つか、いつからここにいたんだ?
そっと触れた彼女の肩は酷く冷たく、かなりの時間ここにいたことを示しており、
覗き見た彼女の顔は、泣いていたのか、白い目尻が濡れていた。
起きてしまわないように、できるだけゆっくり抱き上げると、彼女の手が
小さく彼の寝間着を掴んだ。
起きたのかと再度彼女の顔を見るが、規則的な呼吸を繰り返し、熟睡している。
音を立てないように細心の注意をはらい、神楽の寝床へ向かう。
やはり相当の時間あの場にいたのだろう、彼女の布団はすっかり冷え切っていた。
その冷たい布団にこのまま寝かすのかと思うと、多少の抵抗を感じたものの、
だからといって自分の布団に寝かすわけにもいかず、そのまま布団の上に下ろし、
掛け布団をかぶせる。
暗闇に慣れた目に映る、彼女の泣いた跡に触れ、指先でその涙を拭う。
指先を濡らした涙を舐めると、彼女の指に口付けた時に感じた甘みはなく、
ただの塩辛い水のようだった。
自分の部屋に戻ろうと襖を閉めかけた時、
「 銀ちゃん・・・ごめんなさい・・・。」
あの日と同じ、彼女の懺悔を聞いた。
神楽はまだ、あの夢に囚われている。
拭った目尻に再び浮かぶ涙と、何度も溢される懺悔の言葉がそれを現していた。
彼女を夢から引き戻そうと伸ばしかけた手を、一瞬逡巡した後、銀時は止めた。
起こしてどうする。
目を覚まして俺が傍にいたら、神楽はもっとつらい思いをする。
こいつを苦しめている原因が、神楽自身の中にあるのなら、
神楽が自分でケリをつけなければ、どうにもならねぇ。
俺がしてやれることは・・・なにもないんだ。
ただ自分にできることは、待つことだけ。
今すぐにでも、彼女を抱きしめそうになる手を強く握りしめ、
銀時は襖の向こうから漏れる声に背を向けた。
そして、その夜以降、彼女は夜中に銀時を探すようになった。
和室で銀時が寝ていることを確認すると、決まって和室前の床に座り込み
そのまま眠り込んでしまう。
せめて彼の存在を感じられる所にいたい。
それは神楽の中で相反する感情が起こさせる、無意識の行動だった。
近付けば銀時を汚し傷つけてしまう、だから傍にはいられない。
だけど本当は誰よりも、なによりも、彼の傍にいたい。
そんな二つの感情が、神楽に夜毎、銀時を探させた。
銀時にできるのは、
眠りについた神楽を起こさぬように、彼女を寝床に戻し、流れる涙を拭ってやることだけ。
ただ、それだけ。
夜の間、彼を探しさ迷う自分に気付いていない彼女に、
銀時はなにを言ってやることも、なにをしてやることもできなかった。
そんな状態が3日、4日と続き、銀時は耐えられなくなった。
夜毎、自分を求めさ迷い、涙を流し、何度も懺悔を繰り返す、
彼女の姿を見続けるのに。
だから、今夜は呑みに出た。
神楽を案じ、このところ夜に家を空けないようにしていた銀時だったが、
もう、限界だったんだと自分に言い聞かせて。
なおも重くなる足に力を入れて、家に繋がる階段を一歩、また一歩と昇っていく。
鍵がかかっているかと思われた玄関は、戸を引く彼の手になんの抵抗もせず、
簡単に横に引かれてしまう。
ったく。
寝る前にちゃんと戸締りの確認しろっつっただろ。
自身が出る時に鍵をかけ忘れていたという事実は横に置き、
今や夢の中にいるであろう、少女に悪態を吐く。
後ろ手に戸を閉めて、外よりも若干薄暗い玄関先に目を細める。
他に置いてある靴やら草履やらに、足を引っ掛けないよう気をつけて
ブーツを脱ぎ部屋に上がるべく、視線を前に向けると、
浴室前の廊下に赤いなにかが落ちているのに気付いた。
呑みに出る前は無かった。
神楽のやつ、また俺を探して起きたのか・・・?
床に落とされていた物を拾うと、それは銀時が家を出るまえに、神楽が
身に付けていた赤い寝巻きだった。
なんでこんなところに・・・。
ふと顔を上げると、開かれた居間の障子の向こうに見える和室の前には、
今手にしている寝巻きの対である上着が落ちていた。
あいつ、なにやってんだ?
おそらく和室にいるのだろうと、前に踏み出したその時、
不意に水の流れる音に足を止めた。
その音は、浴室から僅かに聞こえてくる程度だが、次いで桶を置くらしき
音も聞こえてきた。
呑み屋から出る時に見た時計の針は、すでに2時を回ろうとしていたはず。
そんな時間にこの家に、自分と彼女以外の人間がいるわけがなく、
必然的に今風呂場にいるのは神楽ということになる。
なぜこんな時間に?
銀時は神楽の行動の意味を理解しかね、浴室への扉を開けた。
そこは、
明かりもなにも無い、暗闇だった。
確認できる存在は、水の流れる音と、
微かに聞こえる彼女の声。
銀時はこれが現実なのか、幻なのか、
あまりに不安定なその空気に一瞬、足場を失くしそうになる。
神楽・・・?
僅かに開いている浴室の扉から、中にいるのであろう彼女の姿を覗き見る。
「 ・・・・い・・・。」
脱衣所以上に闇が増した浴室で、シャワーを浴びたまま、しきりにタオルで腕を擦り、
何事かを何度も何度も呟いている。
なにを言っているのか流れる水音で、しっかりと聞き取ることができない。
戸を開ける音に気付かれるかとも思ったが、神楽の異様な様子に、
躊躇する余裕はなかった。
カラカラ・・・といやに乾いた音を軋ませて開いた隙間から、
銀時は浴室に足を踏み入れると、入ってすぐに感じた臭いに、違和感を感じた。
シャワーから流れ出た水が、タイル目に沿って彼の足の裏に酷く冷たい感触を与える。
それは微かに残っていた酔いを醒ますには、打って付けの気色の悪さで、
その感触に小さく舌打ちする。
大して広くない浴室では、彼が2、3歩前に進めば、すぐに彼女の元に辿り着いてしまう。
少し手を伸ばせば彼女の肌に触れられる。
それほどまでに銀時が近付いても、神楽にはまったく気付いた様子がない。
変わらず、呟きを繰り返し、身体を洗う手を休めない。
「 ・・・・・っ神楽・・・。」
咽が張り付いて上手く声が出せず、掠れた声が水音に吸い込まれていく。
唾を飲み込む音が頭の中で、生々しく響いた。
「 神楽。」
息を深く吐き、今度はしっかりと彼女の名を呼ぶ。
それでも神楽は、振り返らなかった。
「 おい。神楽・・・っ 」
痺れを切らし、彼女の肩に触れようとした銀時は、神楽の腕を見て息を呑む。
夜兎族であるが故に、透き通るように真っ白だった柔肌は、
赤黒く腫れ上がり、その上を幾筋もの血が這い、伝い落ちていく。
視覚がその光景を理解した瞬間、なにかが背筋を這い上がるのが分かった。
「 おまっ!なにやってんだ!!! 」
なおも擦ろうとする腕を掴み上げ、無理矢理、神楽の身体を反転させる。
「 おい!神楽! 」
正面から見た彼女の身体は腕以外に、頬、咽、胸、横腹、太腿、
あらゆる場所が傷つけられていた。
そのどれもが腫れ上がり、血を流している。
入ってすぐに感じた臭いはこれだったのか!
あまりの惨状に一瞬声を失くす。
なにがあって、なにが彼女をここまで追い込んだのか。
銀時は問いただそうと彼女の顔を覗き見るが、
腕を掴まれたままの神楽は、抵抗することもなく、ただ空を見つめている。
生命の塊のように輝いていた彼女の瞳はそこにはなく、鈍く濁り、
まるで冷たい人形のような瞳だった。
「 ・・・・・か・・ら・・・ 」
「 神楽・・・? 」
「 きたな・・い・・・から・・・ 」
とめどなく溢れる涙が、傷ついた頬の血を少しずつ流していく。
「 わたしは、きたないから・・・はなして・・・。」
「 なに言って・・・っ 」
「 わたしのからだは・・・ちでよごれてる・・・。」
「 っ!? 」
彼女から零れた言葉に、心臓を鷲みにされたようだった。
腕を掴む手が無意識に震えだす。
視界が緩やかに歪んでいくのが分かった。
彼は、自分の間違いにようやく気付いた。
自分自身に言い聞かせてきた言い訳。
神楽自身がケリをつけなければ解決しない。
そんな逃げを打った結果が、今、目の前にある現実だ。
降り注ぐシャワーにずぶ濡れになるのも忘れ、銀時は神楽を抱きしめた。
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